台湾旅行記(19/03/14-17)鉄道の旅

2019年3月上旬に,台湾を旅行してきた。

台湾を訪れるのは今回で3回目である。1回目は台鉄で台湾を時計回りに一周し,2回目は各地の温泉と最南端の墾丁をめぐった。今回,3回目の主目的は以下の2点であった。

莒光616次への乗車

・集集線完乗

莒光616次は,樹林23:50始発,台東5:52着の下り夜行列車であり,毎週金曜日に1本だけ運行される。上りにも台東23:05始発,台東5:00着の莒光6615次があり,毎週日曜日に1本だけ運行される。台鉄で現存する夜行列車は2019年3月現在これら2つの莒光のみであり,週に1往復しか走っていない。ちなみに夜行列車といっても寝台列車ではなく,旅客は通常の莒光号の座席で眠ることになる。

今回は夜行列車莒光616次への乗車が最大の目的であり,この列車に合わせて旅程を組んだ。切符は乗車予定日の1ヶ月前にオンライン予約し,クレジットカードで決済した。一般に東部幹線の対号列車はすぐ満席となるため,念の為予約解禁と共に速攻で予約したわけである。

なお,本記事では國字標準字體(いわゆる「繁体字」)を全て日本の新字体に改めている。また,この記事は未完である。

 

1日目 2019.3.14(木) 台南

 

昼過ぎに高雄国際空港に到着し,現地通貨への両替と現地SIMの購入,及び悠遊卡へのチャージを済ませた。高雄国際空港を利用するのは今回が初めてだったが,桃園国際空港より不便だと感じた点は特段なかった*1。今回の旅行日程中では特に旧正月などの大きな祝日もないため,莒光616次以外の対合列車では基本的に悠遊卡による自願無座を利用することにし,これを念頭に悠遊卡へのチャージ額をNTD3000(JPY10840相当)と大きめにした。

高雄国際空港から高雄捷運(高雄メトロ)に乗り台鉄高雄駅へ向かい,莒光616次の切符を取票した。高雄駅は去年夏訪れた時から一変してすっかり地下化され,地上部分には何も残っておらず,一抹の寂しさがあった。

高雄駅から適当に入ってきた自強号で台南に向かった。台南は今までの台湾旅行で素通りしてきた街であり,台湾の中でも特に長い歴史を持つこの街を一度観光してみたかったため,この日の宿は台南に取り,半日ほど台南を観光することにした。

台南には15:16頃到着した。まずはバスで観夕平台方面へ向かうことにした。台南駅の表側(西側)には環状ロータリーがあり,道路を挟んで北站及び南站の2つのバス停があった。バス停には次から次へとバスがやってきており,客は乗りたいバスがやって来るなり他の停車中のバスを潜り抜けてバスに乗り込み,そのままバスはさっさと発車していった。自分の乗りたいバスが来たかどうかを常に見張っておかねば,おそらく一生目的のバスに乗れなさそうであった。

バス停の係員に訊ね,観夕平台に向かうバス88路は南站から発車することを確認し,果たして定刻通りにバスがやって来たのでこれに乗車した。88路は非常に複雑な経路でジグザグに迂回しながら西方の沿岸部へと走っていった。途中,神農街という有名な観光路地にも停車し,ここで客が大勢乗車してきた。台南駅前では私の他に観光客と思しき客が2名乗っているだけだった車内は,沿岸部に近付くにつれほぼ満員になっていった。

このまま終着まで乗れば観夕平台に行けるわけだが,私は沿岸部に浮かぶ別の島である漁光島に行きたかったので,途中の林黙娘公園で下車した。そこから二鯤鯓砲台を掠めつつ漁光島まで歩いて移動した。漁光大橋を渡り切った突き当りに「漁港島三鯤鯓」と書かれた巨大な板が出現し,その隣に海浜部へ抜けられると思しき小逕があった。ここを進むと予想通り海浜部へ抜けた。

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海浜部へ着くなり景色に圧倒された。彎曲した砂浜の遠くに日落塔があり,洋上にまさに落ちようとしている太陽と見事に調和し,絵に描いたような芸術的な光景を醸出していた。砂浜には多くの親子連れやカップルがおり,各人夕陽に照らされた海を楽しんでいた。3月でも海に入っている人がいたのは流石南国といったところである。

砂浜には野良犬が群れで臥していたりなどの光景もあった。林黙娘公園から歩いてきた時にも野良犬をよく見かけた点は気になっていたが,このあたり安平一帯は野犬が多いのだろうか。

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日落塔に近付いてみた。もはや幻想的な光景ですらあった。現地の説明板によると,日落塔は2013年よりイギリス人の芸術家Hugoによって作られた芸術作品であり,廃棄されたカキ小屋("蚵棚"とあった)の竹材を再利用したものだそうである。

 

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当初はこの後観夕平台や安平灯塔にも行くつもりだったが,予定を変更し日が沈む直前までここで夕陽を眺めることにした。

完全に夕陽が沈む直前に漁光島を出て,台南市街地へ戻れるバス停まで歩いた。台南のバス停では系統別にあと何分後にバスがやってくるかが表示されていたので非常に便利だった。なお,バス停でなくても公式サイト(http://tainanbus.info/)の路線資訊でバスがどのバス停間を走行しているかをリアルタイムで確認することができる。

バスが来るまで時間があったので,安平定情碼頭徳陽艦園区に行った。

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 この船は2005年に退役したアメリカ製の駆逐艦「徳陽」であり,船内を自由に見学できるようになっている。黒松沙士を啜りながら,嘗て台湾海峡の防衛任務に就いていた徳陽を眺めていた。

「億戴金城、徳陽艦」から88路に乗り,台南中心市街地まで戻った。小西門で下車し,夜市の開かれている保安路へ行くことにした。保安路への道中,「台南地区空気品質指標」という電光掲示板があり,この日の台南は"敏感族不健康"とあって,黄砂の為かあまり空気がよろしくないようだった。日本では花粉が猛威をふるっている時季であり,どちらが良いとは一概にいえない。念の為,夜市では加熱された食品のみ食べることにした。

保安路に着くと,美味そうで庶民的な店が軒を連ねていた。牛肉湯や蝦仁肉圓の店が非常に多いのはやはり台南という感じがした。残念ながら私は海老やミディアム肉があまり好きではないので,これらの特産品を食べはしなかったが。代わりに入った店で鶏肉飯を注文した。魯肉飯は今まで幾度となく喰ってきたが,鶏肉飯は今回が初めてだった。出てきたのは鶏肉の胸肉がご飯に載っているだけの代物で,特別美味くもなく不味くもなかった。しかし翌朝はおそらくこれの為に腹を壊した。そんなことなら牛肉湯を食べればよかったと幾許の後悔を禁じえないのであった。

保安路には南廠保安宮という寺院があり,地元の方が何人かお参りしていた。保安路で晩飯を食べた後,神農路の方までぐるりと散歩したが,街の至る所にこうした寺院や旧蹟が残っており,台南という街の歴史の長さが感じられた。夜の神農路は夕方バスの車窓からちらっと見た時の印象とはかなり違った感じで,奥に行くほどひたすら暗い路地になっていった。

 

2日目 2019.3.15 集集線,彰化

 

小西門近くの宿から藍幹線で台南駅まで戻った。台南にはメトロがなく,台南駅と台南各地への公共輸送はバスのみである。台南観光の際はまず初めに台南駅前のバス停にある路線図を写真に撮っておくことをお勧めする。

台南駅の統一超商(セブンイレブン)で咖哩鶏焗飯を朝飯として買った。これは鷄肉の入ったカレードリアで,とても美味かった。CoCo壱番屋と統一超商が提携した商品のようだが,残念ながら日本では売られていない。

これから集集線に乗る為,適当に入線してきた莒光に自願無座し,縦貫線との分岐駅である二水へ向かった。途中,曽分渓では本線の西寄りに旧線と思しき廃鉄道橋が見えた。

二水には10:10頃に到着した。10:40発の車埕行き区間車が来るまで二水を散歩することにした。

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駅を右に出て北西方向に暫く歩くと,機関車や戦闘機が展示された公園が出現した。現地の案内板によると,右手のCT278号は日本製の蒸気機関車で,縦貫線の快速列車の第一輌であり,"蒸汽女王"と称されたそうである。また,左手の台糖345号はベルギー製の蒸気機関車であり,軌間762mmのナローゲージ標準軌1435mmの凡そ半分であることから"五分仔"と呼ばれる)を走った。並べてみると,その大小がよくわかる。同案内板によると,彰化・二水間の開発発展には鉄道が密接に関係しており,特に二水では日本時代には縦貫線、集集線、台糖線の3つの鉄道が街をひっきりなしに往来していた為,二水の人々は旧い蒸気機関車に対して捨てがたい懐古の情を覚えるそうである。

 

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公園傍の踏切を渡ると,このような長閑な場所に出た。二水から集集方面にサイクリングロードが整備されているようで,実際に自転車で走っている人々をよく見かけた。この辺りを自転車で走るのも気持ちよさそうであった。

 

二水駅に戻り,入線してきたDR1000型気動車に乗って,集集線の終点である車埕へ向かった。集集の辺りまで,車窓からは椰子と思しき木が林立し,砂糖黍畑と思しき畑地が広がっているのが見えた。進行方向右側の車窓遠くには濁水渓が見えた。

水里を超えると,列車は谷間に入って行った。

軌間1067mmの線路と,その脇の椰子の木。台湾独特の光景である。斯くして二水から50分,終点の車埕に到着した。

 

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 台湾の気動車は色遣い・デザインが良い。山林の緑に一際映える。

 

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車埕駅からの風景にまず目を奪われた。嘗てこの地で盛んだった林業を支えた木材輸送用線路がそのまま残されており,この線路の上を自由に歩くことができた。遠くには水里渓が削ったと思しき急峻な谷と,そこに挟まれた明潭発電所が見えた。

 

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構内に残る腕木式信号機。左手にはS300型ディーゼル機関車が見えている。他にも長物車や家畜車など,特色ある色々な車輛が構内に保存されていた。

周辺を散歩した後,貯木池に向かった。車埕では1960~70年代にかけて林業が隆盛した。丹大から車埕まで運ばれてきた木材が貯木池に貯蔵され,選ばれた原木が吊り上げられて荷車で加工工場まで運ばれ,加工後貨車に載せられ輸出された。

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奥に原木を吊り上げる二基のクレーンが見えている。

 

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貯木池に沿って遊歩道が整備されていた。明媚だった。

 

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先程の2台のクレーンの向かい側に,またクレーンがあった。貯木場から選別され先程のクレーンによって吊り上げられ荷車に載せられた原木を,加工工場に降ろすためのクレーンである。レールも残っており趣深いが,このレールが林業隆盛時代に使われていた実物なのかは不明である。

 

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木橋と枕木が美しい。

 

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写真奥の巨大な建物が元加工工場で,現在は南投車埕木業展示館となっている。ここにもレールが残っていた。

 

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木業展示館(元加工工場)から貯木池の方面を臨む。この展示館自体が伝統的な木造建築だった。

 

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木材加工工程と配線図。

 

車埕はそこら中に林業隆盛時代のレールが残されており,廃線跡巡りを趣味とする私にとっては非常に面白い場所だった。特色ある車輛や鉄道施設も保存されているので,鉄道好きには是非お勧めしたい場所である。また車埕は風光明媚な山中にあり,周りの景色も素晴らしいので,鉄道に興味がなくとも充分楽しめる場所だろう。

 

車埕を後にし,行きの車窓から見えた斜塔が気になったので,その最寄りの濁水へ向かうことにした。

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スタフ(通票)。車埕側には運転席の横に前面窓すぐの特等席が用意されていた。

 

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徐行標識はJRと同様のようだった。

 

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右手の道路をサイクリングしている人達が多く見容けられた。

 

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龍泉。この駅の西側で中興二号特種支線という貨物線が北方へ分岐し,陸軍兵工整備発展センターへ続いている。

車埕から30分程で濁水に到着した。車埕で悠遊卡のタッチを忘れてしまったので,駅員に説明して現金で運賃を支払った。車埕はホームと駅舎が相当離れており,ついつい悠遊卡のタッチをし忘れてしまいがちになると思われるので,注意を要する。

 

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「濁水鉄道文化園区」という標識やこういったモニュメントがあったが,少なくとも駅前には鉄道文化の隆盛を感じられるようなものは何もなかった。

濁水駅から集集線の沿道を車埕方面に歩き,行きの車窓で気になった斜塔を見に行くことにした。

 

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集集線沿道。何の畑かわからないが,日本(本州)だとまず見ないような光景だろう。この写真の中央奥に目的の斜塔が見えている。

 

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斜塔の北側から。写真左の鉄塔が他の鉄塔より大きく斜めに傾いていることがわかる。この鉄塔は,1999年9月21日に発生した921大地震により傾いたものである。921大地震は集集鎮を震源とする巨大地震であり,この辺り一帯は大きな被害を受けた。この鉄塔は震災遺構の一つである。

 

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921大地震は集集線にも潰滅的な影響を与えた。このレールは921大地震によりぐちゃぐちゃに歪んだ当時の集集線のレールである。この一帯は現在の集集線の線路に並行して歪んだレールも保存されていた。集集線は総路線長29.7kmの比較的短い路線だが,復旧に実に2年6ヶ月もの月日を要している。

 

斜塔近くのコンビニで買った黒松沙士を啜りながら濁水駅まで散歩した。昼間の名間夜市は大陸の田舎の市場を想起させる雰囲気だった。

この日の深夜に台北から夜行莒光に乗車する。濁水からまず彰化まで北上することにした。濁水から二水まで移動し,区間車に乗り継ぎ彰化へ向かった。

彰化駅ホームで売られていた"喜楽紅豆餅"が美味しそうだったので一つ購入した。見た目は完全に日本の廻転焼だったが,生地が廻転焼より硬く,非常に美味しかった。

彰化には現役の扇形車庫があり,今回これが目的で彰化に来たが,営業時間外で見学できなかった。次回また訪れることにした。

 

 

腹が減ったので,北門肉円という老舗で肉円を食べた。辛過ぎず甘過ぎず絶妙に味付けされたとろみのあるスープの中に肉円が入っており,碗の中の全てが調和した最高の一杯だった。

 

 

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駅前を散策していると,頂好葱抓餅という屋台があった。美味しそうだったので,原味の葱抓餅を注文した。色々なところで葱抓餅を食べてきたが,ここの葱抓餅はかなり美味しかったと思う。しっとり系ではなく,割とサクサクした食感だった。

彰化で口にした3品がどれも美味かったので,私の中の彰化のイメージが美食の街として固定されてしまった。

 

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国定古蹟の彰化孔子廟

 

台湾では多くの地域でバイクが発達しているのだが,彰化ではシェア自転車も発達しているようで,バイク乗りと同数くらい大勢の人達がシェアサイクルに乗って移動していた。

 

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彰化からは適当に入線してきた自強号に自願無座して台北へ向かった。列車は21時頃台北に到着した。莒光616次の発車まであと3時間弱あったが,この日はよく歩いた為足が疲れていたので,晩飯を食べて充電スポットで大人しくすることにした。

前回の旅行で美味しかった台北駅南側の飯糰屋に向かったが,閉店していた。では台鉄便当を喰おうかと思ったが,既に営業時間外だった。結局統一超商でまた咖哩鶏焗飯を買って食べた。やはりこれはおいしいので,日本でも売ってほしいと切に思った。

台鉄の駅にはよく充電スポットが用意されており,大変便利である。三貂嶺駅のような辺鄙な駅にすらも充電スポットがある。台北駅構内案内図から充電スポットを探し,改札内の充電スポットで列車を待つことにした。

しかし改札機が鳴ってしまった。駅員に何時から入れるのか質問したものの,駅員の華語が聴き取れず窮していたところを,通りがかった現地の青年に助けられた。ありがたいことだった。こういう優しさに接すると,自分もそうありたいと思うようになる。

駅員は私を改札内に入ってよいと言っていたそうだった。しかしなぜ改札機が鳴るのかは青年にもわからないようだった。台鉄の入場時間が列車発車時間の一定時間以上前だと鳴るのかもしれないし,列車発車日でないと入場できないのかもしれない。この点は検証を要する。

 

3日目 2019.3.16 台北→高雄

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時は来た。

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 莒光616次,台東行きは台北駅へ定刻に入線してきた。

 

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車内は至って普通の莒光号である。この椅子が本日の寝床である。通常の座席ではあるが,シートピッチが広い上に足掛けもあり,それなりに快適ではあった。寝ている客に配慮してか車掌による放送は一切なかったが,駅到着時の自動放送は流れた。照明は点きっぱなしで,アイマスクを用意していた乗客もいた。

台北出発時点でほぼ満席であったが,その後の停車駅でも次々に客が乗り込んできた。台東までの停車駅は樹林、板橋、万華、台北、松山、汐止、七堵、瑞芳、宜蘭、羅東、南澳、新城、花蓮、吉安、志学、寿豊、鳳林、光復、瑞穂、玉里、池上、関山、鹿野、台東であった*2。途中の花蓮で半分くらいが降りて行った。

 

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 翌朝5:52,莒光616次はほぼ定刻通りに台東へ到着した。仄かに明るい台東の空と,莒光616次。

台東からは都合よく6:00発の自強302次新左営行きが存在し,莒光616次から乗り継ぐことで一夜にして台北→高雄を移動することができる。台北から5時間半程度しか眠れておらずかなり眠かったが,乗り換え時間8分の間に一旦駅を出て,悠遊卡で再び戻ってきた。

自強302次は台東出発時点では半々程度の乗車率であったが,次第に乗客は増え,屏東ではもう殆ど空き席がないような状況だった。朝一番の列車でこの乗車率なので,東部幹線の対合列車の混雑率を改めて感じた。

 

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車窓からは台湾東海岸と昇る太陽が見えた。夜明けの列車から見る日の出はただひたすらに美しかった。

この日はまず橋頭にある台湾糖業博物館に行くことにした。目的は"五分車之旅"で五分車のトロッコに乗ることであった。途中で自強302次から区間車に乗り換え,橋頭には9:30頃に到着した。橋頭駅から台湾糖業博物館までは徒歩で10分程度であった。道中立ち寄った橋頭老街の雰囲気がとても良かった。

 

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台湾糖業博物館に到着するなり,軌間762mmの廃線路が私を出迎えた。レールの錆び具合等からして実際に五分車が走っていた実物だろう。

目的の五分車トロッコはこの博物館から花卉中心まで土日祝の10:30~16:30の1時間おき(12:30を除く)に出ている。運賃は往復100元である。9:40頃に受付に行ったがまだ閉まっていたので,10:30の発車まで敷地内を取り敢えずぶらつくことにした。

糖業博物館の敷地は広大で,旧橋頭糖廠の工場跡から台糖製品の売店,イベント場まであった。まず台糖製品の売店に向かい,アイスクリームを頂くことにした。

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夜行列車明けの身体にアイスクリームが沁みた。中身はかなり大量に入っていた。

アイスクリームを頂いた後,敷地内を散策した。

 

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 このようにそこら中に五分車が静置されていた。昂奮を禁じえない壮観だった。レールもその殆どが嘗てのまま残されているように見えた。

10:15頃に五分車之旅の受付に戻り,切符を買ってトロッコに乗車した。

 

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 五分車トロッコを索引する汽車(捷運駅側)。

 

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 トロッコ列車は10:30に定刻通り出発し,時折索引機関車が物凄い汽笛をあげながら,およそ15km/h前後くらいの速度でゆっくり進んで行った。トロッコには恐らくサスペンションなどはなく,あまり保線されていなさそうな軌道の凹凸が直に振動となって伝わった。嘗ての糖鉄もこのような感じだったのだろうか。周りの風景は長閑な畑だったが,高雄メトロの高架線だけが対照的に近未来的な雰囲気だった。

 

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索引機関車(農園駅側)。トロッコ列車は捷運駅(博物館)から10分程度で終点の農園駅に到着した。20分後に折り返し11:00に捷運駅方面へ発車する。

花卉農園センターにはバーベキュー場などが附設されているようだった。近くのコンビニで黒松沙士を買って啜りながら散歩した。夜行列車明けの沙士は格別に体に沁みた。夜行列車明けに口にしたものは何でもうまいのかも知れない。

 

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農園駅には蒸気機関車が静置されていた。

 

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軌道上に草が遠慮なく生い茂っていた。

折り返し11:00発の捷運行きトロッコ列車に乗車し博物館へ戻った。

 

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右手の高架橋は高雄メトロである。糖鉄の線路の左側には台鉄の線路が並行している。

正直,10分といわずもっと乗っていたかったが,往時の糖鉄の雰囲気は感じ取ることができた。

 

駅を出て,敷地内を引続き散策しつつ橋頭糖廠工場跡へ向かうことにした。

 

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このように敷地内には至るところに軌間762mmの線路が伸び,五分車が静置されていた。壮観であった。

 

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"五分車修理室"の中に,エンジン部が剝き出しの機関車が静置されていた。内部構造を間近で観察することができる。

 

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"五分車修理室"には多種多様な五分車が静置されていた。

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幾線にも及ぶ軌間762mmの線路。往時はこの線路を五分車が忙しなく往来したのだろう。左手の高架橋は高雄メトロである。

 

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木々の間にぽつんと取り残された五分車機関車。

 

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橋頭糖廠の入口部。ここで貨車に載せられた砂糖黍が降ろされ奥の工場に送られた。

 

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 工場内部。ローラーのようなものが圧搾機である。この工場で様々な工程を経て砂糖黍から砂糖を生産していた。

 

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圧搾して得た砂糖黍の汁を蒸発させる巨大なタンク。

 

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 一階部はかなり薄暗かった。

 

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 赤い謎の粉。野良犬がいたりして心臓に悪かった。写真は明るいが,実際はもっと薄暗かった。

 

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先程の圧搾機の下部にあたる。ここを奥に進むと鍋炉室に出た。

 

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鍋炉室はあまりに巨大で写真に収まらなかった。

 

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工場の外から。

工場を出て,糖業歴史館へ向かった。糖鉄に関する面白い展示があったので,ここに紹介する。

 

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戦時中,第二の縦貫線として戦略的に糖鉄が南北に繋がれたが,戦後徐々に姿を消してしまったという展示。

 

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 往時の糖鉄の姿が写真付きで説明されていた。これらの他にも糖鉄に関する興味深い展示があった。

全体として,台湾糖業博物館は鉄道廃墟も工場廃墟も非常に面白かった。鉄道好きには是非お勧めしたい場所であった。地下隧道と防空壕など,戦時の施設も残されていた。

 

糖業博物館を後にし,高雄メトロで西子湾へ向かった。橋頭糖廠駅の自販機で地味に探し続けていた缶の加塩沙士を発見した。普通の沙士より好きな味だった。

 

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高雄メトロは左営にかけて長い間高架橋の上を走った。辺り一帯がほぼ畑地で,かつ高架橋がかなり高い造りの為,車窓からの風景は独特なものだった。

美麗島で乗り換えて西子湾に到着後,旗津に向かうフェリー乗り場まで歩いた。

 

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西子湾駅を出て直ぐ,このような公園に出る。ここは哈瑪星鉄道文化園区といい,台鉄高雄港駅の廃線跡を公園として整備した場所である。一面に複雑な配線の線路が拡がっており,レールや転轍機,様々な車輛がそのまま残されている。私が高雄で一番好きな場所である。高雄港駅廃止後,大規模な開発計画もあったが,保存運動等の様々な経緯があって*3このように綺麗に残されている。

 

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人が乗れるミニチュア列車。なぜかN700系,しかものぞみ号高雄行きだった。

 

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旧臨港線の線路を活用し,高雄LRTが走っている。現在は哈瑪星⇄籬仔内で走っているが(第一段階),将来的には高雄機廠から北部地域を経て哈瑪星まで繋がり大きな環状線を形成することになっている(第二段階)。

 

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西子湾駅から南西方向に暫く歩き,鼓山フェリーポートに到着した。ここから旗津へ向かうフェリーはひっきりなしに発着していた。船が来る度,物凄い量のバイクが出て行った。

このフェリーは悠遊卡が使えた。かなり長い行列が出来ていたが,ひっきりなしに船が来るため廻転率は高く,案外すんなり乗船することができた。

 

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 船からは旗後山にたつ高雄灯台,海軍基地に着眼していた軍艦など,高雄港を一望できた。高雄港は漁船,個人のレジャー船,漁船,軍艦,液化天然ガス輸送船,フェリーなど,様々な船が行き交っていた。

 旗津フェリーポートに到着後,売店でお茶を購入して旗後山を暫く登り,高雄灯台を目指した。

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急峻な旗後山の上に建っている為,塔長は短い。主塔は八角形になっている。

 

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山上ゆえ,周りの眺めも良かった。暫くここで高雄港を眺めながら休息をとることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:但し,中華電信でクレジットカードによる決済が非対応だった。

*2:同じ種別の対合列車でも停車駅は異なり得る。例えば,莒光82次は松山を出ると花蓮まで停まらない。

*3:≪從臨港線到水岸輕軌道≫を参照のこと。