高雄捷運西仔灣駅直ぐに広大な鉄道廃線跡が広がっている。
ここは嘗て高雄臨港線の高雄港駅,更に遡れば旧旧旧高雄駅があった場所である。広大なヤード跡は保存運動もあって現在は"哈瑪星鉄道文化園区"として一帯が公園として整備されている。"哈瑪星"は日統時代の通称「浜線(ハマセン)」に対する台湾閩南語の当て字である(Há-má-seng)。尚,高雄は旧称 "打狗" であり,日統時代に日本語に音写した "高雄" に改称され,それが戦後そのまま引き継がれている。
嘗ての輸送本部跡。
転轍機標識が寂しく佇む。
殆どが大正14年形分岐器と見られる。これだけの数のファングボルトの管理はさぞかし大変だったに違いない。
東側の数本を除いて殆どはダルマ(錘式転轍機)である。東側の数本については現在の軽軌軌道に接続し東臨港線に至る本線又は通路線であった。
公園路橋北側から海側を見る。南北方向に木道が敷かれ,その西隣2線が軽軌に転用の上軌道整備された。その更に西隣の廃線跡(写真右端)でパイスケ状の籠による砕石撒布とビータによる搗き固めをしていた。
公園整備の際生じたと思われる中古レールの山。
"護軌" = ガードレール。日本でも嘗ては「護輪軌条」と呼称した。
"尖左10#" = 10番左トングレールだろう。大正14年形分岐器は直線ポイントであり,トングレールは左か右かの2種類しかない。
継目板,タイプレート,転轍機の残骸等が打ち捨てられている。
軽軌の踏切は警音装置と明滅装置のみで遮断桿はない。横断時は地味に怖い。
第二種車止め。
倉庫群。殆どがリノベーションされ観光活用されている。
軽軌真愛碼頭駅の伸縮継目。
数年前,鼓山まで未開通の時期に訪問した時と比べると,軽軌は最早住民や観光客の足として無くてはならないものになりつつある。