「能」と可能補語「V得C」の混用について

不能V」と「V不C」の混用については、日本人学習者によく見られる間違いとして、多くの場所で取り上げられている。

 

楊徳峰≪日本人学汉语常见语法错误释疑≫(2008)に次の様な誤例が挙げられている。

1. *宿舍的钥匙丢了,我不能进去。

2. *他写的很好,但是不能说。

 1.の例文は、入って行くことが禁じられているのではなく、鍵がないからであるから、“不能进去”は“进不去”に改めなければならない。また、2.の例文は、話すことを禁じられているのではなく、話す能力がないのであるから、“不能说”は“说不出来”に改めなければならない。

 本書では、「不能」と「V不C」の違いについて、次の様に解説している。

不能V」はある物事をするのが情理上許可されない又は禁止されていることを示す。一方、可能補語「V不C」は、客観的条件によりある物事をすることが許されないことを示す。

 

また、東京外国語大学言語モジュール*1では、次の例文が比較されている。

3. 黑板上的字擦不掉。

4. 黑板上的字不能擦掉。

 3.はチョークで強く書きすぎたりしていて黒板の字が消せないことを表すのに対し、4.はまだ書き写している人がいるなどの理由で道理的に黒板の字が消せないことを表す。

このモジュールでは、「不能」と「V不C」の違いについて次の様に解説している。

助動詞“能”と可能補語が意味上等しいというわけではありません。道理上許されて「~できる/できない」という意味を表す際には,可能補語ではなく助動詞“能”を用います。

 

更に、吴丽君等(西川和男編訳)《中国語の誤用分析ー日本人学習者の場合ー》(2005)に挙げられている誤例を幾つか示す。

5. *如果没有兄弟姐妹,孩子们不能得到跟别人交往的机会。

6. *九月初旬,秋天的来临到来。不能听到蝉声。

7. *一边儿着急一边儿写的文章,一定不能写好文章。

 誤例5.の“没有交往机会”という結果が生じるのは、ある人の意思でやめさせたり、世の情理が許さないのではなく、ただ現実条件の制限を受けているだけであるので、“V不C”を用いなければならない。6.、7.も同様である。

本書では、「不能」と「V不C」の違いを次の様に解説している。

「ある人の能力や現実の条件に限界があって、ある事が実現されておらず、実現が不可能なこと」を表す時、主に“V不C”や“无法(没有办法)VC”を用いる。“不能”を用いる場合は相対的に少なく、これらを補う形で用いられる。

不能”が現れる時、まず「ある人の意思が許さない」ことを想起する。

 例:大伙得一起进去,半步都不能分开。

 

また“不能”は更に、「世の情理では許されない」ことを表す。このような文では“不能”は“不应该”に置き換えられる。

 例:有些观点是正确的,只是不能过早灌输给孩子。

 

“V不C”や“无法VC”が表すのは、“看不到”の様に、一般的に非自主行為/非自主的状態である。(中略)一方、“不能”の後の述語は、“看人不能看表面”の様に、自主行為を表す。

 

どのような場合に可能補語ではなく「能」を使うべきか

 

可能補語「V得C」は主に否定形で用いられ、肯定形が用いられるのは疑問文やその応答、反語に限られる。そのため、肯定の意味を表したい時、可能補語ではなく「能」などの助動詞を用いるのが一般的である。

 

吴丽君等(西川和男編訳)《中国語の誤用分析ー日本人学習者の場合ー》(2005)では、以下の様な解説がある。

多くの動詞には“V不C”構造が備わっていない。例えば“*打不败”や“*打败不了”の様な構造はあまり使われず、代わって“无法”や“不能”を使う。

また、以下の場合は“V不C”構造と相容れず、“无法”や“不能”を用いるべきである。

 

A. 一部の連動文

王老师病了,今天不能来上课。

B. 文の状況語が描写的で、動作の進行状況を描写するもの。

不能刑罚专家要求的那样,一刀截断陌生人。

C. 述語の前に程度副詞又は範囲副詞があって述語を修飾するもの。

你听了特别不能忍受吧。

 

註)引用元から一部適当な言葉に改変、又は日本語訳を施した箇所がある。