Cubase 8.0がプロジェクト終了時にクラッシュする問題の回避策

Cubase 8.0が昨日の深夜あたりからプロジェクト終了時にクラッシュするようになった。

「深刻な問題が発生しました:プロジェクトを別の名前で保存し、Cubase8.exeを起動し直してください。この問題が繰り返し起こる場合は、問題が発生したときに行った操作の説明と、作成されたファイルを添えてSteinbergのテクニカルサポート部にコンタクトをとってください。[クラッシュファイルのパス]」

このようなウィンドウが毎度出てしまう。しかしプロジェクトはきちんと保存されていた。

一日経っても一向に治らず気持ち悪くなったので色々と試してみた。

まずクラッシュし始める少し前に導入したKeyzoneClassicをVSTPluginsフォルダから一旦移動してCubaseを再起動してみたが,依然としてクラッシュした。どうやらプラグインの問題ではないようだった。

続いてオーディオインターフェースやeLicenserの差し直し,ASIO-Driverやオーディオ優先度の変更など色々試したが直らなかった。

そこでインターネットを漁った結果,Cubase公式のフォーラム(ユーザー掲示板)に次のスレッドを発見した。

Why does Cubase crash when closing a project? - www.steinberg.net

この中に,

I used to have this problem on 7, not 7.5 and not 8. Wasn't related to plug-ins. It happened on Windows every time I tried to quit Cubase using the standard Windows 'x' button on the top right of the main Cubase window. Didn't happen when I went File>Quit.

という書き込みがあった。私もプロジェクト終了時×ボタンでなくファイル→終了とやってみたところ,クラッシュしなくなった。どういうことw

 

取り敢えずは×ボタンを使わなければ全く問題なさそうなので安心した。この記事をご覧の方で上記と同様の症状が出ている方がもしいたら,何か根本的解決策をご存知でしたらコメントで教えて下さい。

カフカス旅行記 9 【グルジア】バク~トビリシ,ゴリ

カフカス旅行記8の続きです。

最初からはこちら(カフカス旅行記 1 【グルジア】トビリシ~ボルジョミ - ながさっちゃんぽん

 

2020/2/25 バクー~トビリシ,ゴリ

 

7:10,アゼルバイジャン側国境のBöyük Kəsik駅に到着。7:20,出国審査。二等寝台コンパートメントの一つが即席のイミグレとなり,一人ずつ呼び出された。この間にシーツが回収された。

8:05,Böyük Kəsik駅を定発。

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同室のグルジア人が窓を見てみろというので覗いてみると朝焼けだった。国境の鉄路の朝焼け。

8:30,国境を跨いでグルジア側国境のルスタヴィ駅に停車。暫くして入国審査。同室のグルジア人はスーツケースを隈なく調べられていたが,自分の荷物はチャックを開けられた程度だった。

かなり時間を要したのか,10:00に25分遅れでルスタヴィ駅を発車。同室のグルジア人が私の読んでいたニューエクスプレスロシア語を手に取り興味津々の様子だった。ニューエクスプレスグルジア語を取り出して見せると,(皆ロシア語が話せるのでグルジア語は)必要ないぞと言われた。

11:00頃,トビリシ中央駅到着。トビリシから車で一時間程の所にあるゴリへ行くことにした。駅で余ったマナトをラリに両替し,各地へのマルシュが出ているディドゥベへ地下鉄で移動。

ディドゥベに着いてゴリ行きのマルシュを探すも,やはり物凄い数のマルシュの中から簡単には見つけられなかった。人に聞くとあっち指したりこっち指したりとまちまちで迷ったが,大声で「ゴリゴリゴリゴリゴリ~!」と叫んでいる運転手を発見し無事に乗車できた。幸い私が乗った時にはほぼ満員だったので,乗車して間も無く発車した。

12:33,マルシュ出発から1時間ちょうどでゴリに到着。目的地のスターリン博物館の北側を通るタイミングで「ここで降ろして欲しい」と言うと降ろしてくれた。恐らく終点まで乗車すると川沿いのCentral Bus Stationまで行ってしまう。

スターリン博物館から少し歩いたレストランで昼食。

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ツィナンダリを注文したが品切れで,代わりに出してくれたのがこのTELURIというワイン。めちゃくちゃ飲みやすかった。

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アジャリハチャプリ。でかいのでこれ一つで昼飯として充分適量。

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シュクメルリ。初日にボルジョミで食べたシュクメルリは汁がサラサラの液体だったが,こちらは汁がタルタルソースのような感じでよくチキンに絡んだ。松屋のシュクメルリはこちらのタイプに近いと思う。ニンニクが効いており大変うまい。グルジア料理最高。

昼食後,ゴリの街を散策開始。まずは城砦に向かうことにした。

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Nikoloz Baratashvili公園。

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ゴリ城砦。既に最高の予感。

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いい感じ。

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南側を俯瞰。

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十字架が立っている。

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北西方向を俯瞰。左奥に青く見える山々はもう南オセチアである。いつか行ってみたい。

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西側。ゴリ城砦の頂上は経験したことのないくらいの暴風だった。日常的にこの辺りは暴風が吹くのか,山上に風車が建っている。

城砦を下りてスターリン博物館へ。

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スターリン博物館。ゴリはスターリンの出生地である。

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若かりし頃(15歳前後)のスターリン

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こういった絨毯が無数展示されている。

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万寿無疆。

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最大のお目当てのスターリン専用客車。外観だけなら入館料を払っていなくても見れるが,入館料を払っていると中も見学できる。

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随所に使われている木と赤絨毯が高級感を匂わせる。

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付き人の部屋は至って簡素。

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スターリンの部屋に風呂まで付いていて驚いた。ベッドや卓は隣の部屋にある。

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一番奥は会議室。

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窓枠が不規則で特別車輛感がある。

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スターリンの生家。

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ゴリの人々はスターリンに対しどう思っているのだろうか。地元の生み出した「ソ聯の」偉人であって,現在の憎きロシアとは無関係と捉えているのだろうか。10年前の南オセチア紛争でゴリはロシア軍による爆撃と占領を受けている。

実際,2010年にゴリ中央広場にあったスターリン銅像が撤去された際には市を二分する議論が巻き起こったようである。*1

 

博物館からタクシーでゴリ駅へ移動。

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16:13発のトビリシ行き(#11)に乗車。運賃8ラリ。オズルゲティ始発の列車(#11)とクタイシI始発の列車(#17)がリオニで連結した編成。ここで初めて気付いたが,駅電光掲示板の時刻は到着時刻であり発車時刻ではないようだ。

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トビリシ行きは左手の島式ホームに到着する。到着前までに渡り損ねると乗車できなくなる。

17:30頃,トビリシ中央駅に到着。

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床屋っぽい看板。街中の生きたグルジア文字ともまもなくお別れ。

空港への路線バス(37系統)に乗車しトビリシを後にした。

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さらばカフカス

カフカス旅行記 8 【アゼルバイジャン】バクー

カフカス旅行記7の続きです。

最初からはこちら(カフカス旅行記 1 【グルジア】トビリシ~ボルジョミ - ながさっちゃんぽん

 

2020/2/24 バクー

 

トビリシからバクーへは僅か1時間だが,Buta航空ではLCCながら機内食が出る。「Cheese or sausage?」と聞かれたので一応複数の選択肢があるらしい。

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Sausageと言って出て来たサンドイッチ。まあ喰えなくはないという味。俺以外の殆どの乗客は機内食を遠慮していた。

1:05,バクー国際空港に到着。アライバルビザの発券機は入国審査前にある。係員が駆けつけて物凄いスピードで勝手に操作してくれるので安心。レシートのようなアライバルビザが発券される。失くさないようパスポートのどこかに貼り付けておくと良い。

入国審査ではアルメニアについて尋問されないか心配だったが,一切なかった。トビリシ空港で出国スタンプが一番後ろの頁に押され,そこにアライバルビザを挟み込んでおいたので,中のアルメニア入出国スタンプが見られなかったのかも知れない。ただし,顔写真ページを見て「Changed?」と訝しまれた。数年前に撮った写真やねんからそりゃ多少は変わるやろと思いつつ「Not Changed.」で特に何もなく通過できた。

空港で両替,SIMを購入。一日なのに29マナト(=1800円)もした。ホテルまでのタクシー運転手曰く街中なら5マナト(=310円)で済んだらしい。何やら面倒なタイプのアクティベートを全部係員がやってくれたので,その手間賃として納得することにした。

2:00頃に投宿し,3:00頃就寝。

 

翌朝9:30頃起床。昨日のタクシー代を請求される。昨日はタクシー代要らんって言ってたやん…。空港で両替したマナトが無くなったので銀行まで15分程歩いて再び現金を手に入れる羽目になった。

10:12,Gənclik駅に徒歩で到着。バクーカード(交通系ICカード)を購入し,メトロで28May駅へ。28May駅はアゼルバイジャン国鉄のバクー駅に相当する。旧ソ聯の地下鉄は核シェルターも兼ねてかやたら深い位置にありがちだが,この駅はそうでもなかった。

バクー駅着後,窓口にてオンライン購入済みのバクー→トビリシ国際列車の切符を受け取る。この日は一日でバクーを観光し,夜にはこの国際列車でトビリシに戻る。バクーは見所がコンパクトに密集しており,半日あれば徒歩で観光できる。

まずはカスピ海沿いへ行ってみることにした。

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何かを作っていた。

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フレイムタワーが見える。

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翩翻と翻る国旗とフレイムタワー。

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絨毯博物館。

ケーブルカーで丘の上に行こうとしたが,駅工事で運休していた。仕方なく階段で丘の上を目指す。

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中々の絶景。

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丘の上はかなり荒れており廃墟感がある。

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殉教者墓地の慰霊モニュメント。殉教者墓地ではソ聯との黒い一月事件やアルメニアとのナゴルノ・カラバフ戦争での犠牲者が追悼されている。今なおアルメニアとの禍根は消えず,両国は現在(2020年2月)も国交を有していない。

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殉教者の小道はフレイムタワーの直ぐ目の前にある。

 

13時頃,丘を下りて旧市街へ向かう。

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ガイドブックなどで「迷路のような」と形容される世界遺産の街並み。しかし一番迷うのは旧市街に入る段階では?(東側から入ると簡単)

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世界遺産・シルヴァンシャー宮殿。世界遺産なので取り敢えず行ってみたが,特に自分の琴線に触れるものは無かった。

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 宮殿に遺されたアルメニアとの戦争での銃創。

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15:09,旧市街東側にある世界遺産・乙女の塔へ。何の為に作られたのかすら不明らしい。名前についても由来不詳で,「乙女の(Qız)」は攻め落とされたことのない防衛施設を意味するという説が有力のようだが,はっきりとは解明されていない。乙女の塔屋上からの眺望は良かったが,良くも悪くもただの塔だった。

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旧市街の東側の一帯は飲食店が密集しており人通りも多かった。ソ聯車も散見される。いい景観。

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遅めの昼食にビリヤニを食べた。ビリヤニより謎の緑色の汁とチャイがめちゃくちゃ美味かった。アゼルバイジャングルジアと違ってあまりこれといった名物料理が浮かばない。飯を食っているとbooking.comから今朝の宿がNo Show扱いになっていると連絡が来た。タクシー代の件といい今朝の宿はハズレだった。宿にbooking.com経由で連絡し,最悪の場合直接赴く事を考えたが,暫くして修正しておくと返事が来た。

一通り観光し終え充電も済んだところで,近郊電車の乗り鉄をしに行くことにした。

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18:20,メトロでバクー駅に戻ってきた。バクー駅はややこしい構造をしている。この写真の建物の中に近郊電車の切符窓口と改札があり,その奥に乗り場がある。国際列車の窓口はこの建物の向かいの建物(メトロの建物との間にある)の一階にある。国際列車の乗り場はこの写真の右手(つまり近郊電車の切符窓口の右手)にある。

Koroğlu駅で降りてメトロで帰って来ようと思い,近郊電車切符窓口で「Koroğlu!」と言うと,「Pirşağı?」と返された。降りる駅ではなく乗る路線の終点駅を言うシステムらしかった。ピルシャギまでの切符を0.9マナト(=56円)で購入。

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改札を通って乗り場に行くと近代的な電車が入線してきた。全車輛ダブルデッカーは壮観。グルジアで走っていたバトゥミ~トビリシの特急電車と同じメーカーの車輛である。

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地元民以外の解読が困難な電光掲示板(後で考えたがPIRはピルシャギ,BAKはバクー,SUMはスムガイト,0H:15は15分後という意味だろう)。発車時刻になっても発車しないのでおかしいと思っていたら別の番線から電車が発車して行った。電光掲示板が読めないので乗る電車を間違えた。ピルシャギ行きが出て行ってからちょうど10分後に発車したので,上の画像から今乗っている電車が18:55発スムガイト行きであることが判明した。

スムガイトまでは三駅しかない。通勤ラッシュで混雑していたが,大半の乗客が一駅目のBilajari駅で降りて行った。乗り心地は大変良く,運行本数の割にしっかり保線されているようだった。車内も清潔だった。

バクー駅を出てから約40分でスムガイト駅に到着。改札にいた老人に誤った電車に乗ってしまった事を切符を見せて何とか伝えると,私を直ちに駅員まで誘導して事情を説明してくれた。駅員に帰りの運賃を支払うと超特急で切符が発券され,もうすぐ(引き返す電車が)出るから急げ!と言われ,その場に居合わせた女の子が先導して案内してくれた。自分の不注意で色々な人に面倒を掛けて申し訳なかったが,スムガイトの人達は親切だった。今度必ず再訪したい。

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19:40スムガイト発バクー行き電車。行きと一転してがらがらだった。車内はこのように対面型固定のクロスシートで,3列版のE215系というイメージに近い。軌間1520mmだけあってやはり車幅が大きい。

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バクー~スムガイトの時刻表。通勤に特化しており昼間は運転されない。運賃は1.1マナト。20:18,バクー定着。地下鉄でIcherisheher駅に移動しフレイムタワーのフレイムを見に行くことにした。

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地下鉄車内は木目調のデザイン。ガラガラだった。

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Icherisheher駅から地上に出たところ。バクーは夜の方が綺麗な気がする。

丘を上り,Pirvənzərəという階段の踊り場でフレイムタワーを鑑賞。

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アゼルバイジャンの国旗を振る人。これが見たかった!

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フレイム。

一頻り満足したところで丘を下り海岸の方へ。ケーブルカー横の階段は夜になると真っ暗で非常に怖かった。iPhoneのライトを懐中電灯にして前方を照らしながら下りた。

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ちょっとした地下歩道がこの高級感,産油国の趣。

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アゼルバイジャン感溢れる一枚。

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夜の旧市街。奥の前衛的なフレイムタワーとのギャップが良い。

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旧市街東側の飲食店密集エリア。夜も人通り・車通りがとても多い。

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夜の方がやはり綺麗。

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22:49,Sahil駅からメトロに乗ってバクー駅に戻ってきた。国際列車窓口の右手にあった電光掲示板を見ると,どうやらバクー~モスクワやバクー~キエフという心躍る国際列車が存在するらしい。調べたが第三国の人間は乗れないらしい。

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プラットホームに上がって来た。トビリシ行きは1番線から23:15発。

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右が23:15発トビリシ行き国際列車。左はアゼルバイジャングルジア国境のBöyük Kəsikまでの夜行列車で23:55発。

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PLはプラットホーム(島)で,YLはそのどちら側かという意味らしい。

自分の乗る号車に行き,係員にパスポートと切符を見せて乗車。今回も二等寝台を利用。一般に二段寝台は高さのある下段が好まれる傾向にあるが,乗車してすぐ横になりたかったので上段にした。下段にしてしまうと,上段の人も眠くなるまでは下段に腰掛けるので乗車してすぐ横にはなれない。

エレバントビリシの二等寝台と違って,上段に下段の寝具もまとめて置かれていた(エレバントビリシは枕以外の寝具は車掌が配りに来た)。一先ず通路上部分のスペースに抛り込み横になった。

エレバントビリシの二等寝台と同じく4人一室のコンパートメントで,私,アゼルバイジャン人,アゼルバイジャン人,グルジア人の4人だった。アゼルバイジャン人二人は国境近くのBöyük Kəsikで降りて行った。

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発車して暫くして車掌がシーツを配りに来た。袋がめっちゃかっこいい。

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シーツを敷くとこんな感じ。枕にもシーツが配られ清潔。コンセントも片側の下段に一つだけあり,全体的にエレバントビリシの二等寝台と比べてレベルが高かった。

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時刻表が廊下に掲出されていた。

車内ではアゼルバイジャン人の老爺とグルジア人の老爺がロシア語で旅の思い出話をしていた。

 

カフカス旅行記9へ続く。

qjitai.hateblo.jp

カフカス旅行記 7 【グルジア】ムツヘタ・トビリシ

カフカス旅行6の続きです。

最初からはこちら(カフカス旅行記 1 【グルジア】トビリシ~ボルジョミ - ながさっちゃんぽん

 

2020/2/23 ムツヘタ・トビリシ

 

エレバンからトビリシ行き国際夜行列車に乗車して6時間程経った3:30頃,目が覚めると列車はアルメニア側国境Ayrum駅に到着していた。3:40,パスポートと切符を用意しておくよう車掌から伝達。3:55,職員がコンパートメントにやって来て出国審査完了。4:10には列車が動き出した。

国境を超え暫くして今度はグルジア側国境サダフロ駅に停車。4:40にパスポートと切符を用意しておくよう車掌から伝達。4:45,剽軽な警察官が来訪し「Welcome to Georgia~!」と言いながらパスポートを回収。5:10,職員が来訪し簡単な荷物検査を実施。その後パスポートが返却された。

アルメニアグルジア間の鉄路国境越えは全体として非常にスムーズだった。国境によっては駅に一旦降ろされたり,コンパートメントの一つを即席のイミグレにして一人一人呼び出されたりするが,アルメニアグルジア間はずっと自分のベッドで待機していれば向こうからやってきてくれるので気楽なものだった。

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7:50,トビリシ中央駅に到着。ちなみに使用したシーツと毛布は降車前に車掌に返却する必要がある(車掌が回収に来たタイミングで渡せばよい)。

駅最上階のトレインビューのスタローバヤで充電を兼ねて休憩。昨晩奇蹟的に取れた飛行機のオンラインチェックインを済ませた。この日は飛行機が出るまでほぼ一日暇だったので,トビリシから少し離れた古都ムツヘタまで行くことにした。

9:15,スタローバヤを出て地下鉄でディドゥベへ移動。トビリシから各地へのマルシュはディドゥベから出ている。

9:39,ディドゥベで物凄い数のマルシュの中を彷徨いつつ,何とかムツヘタ行きのマルシュを発見。場所が本当にわかりづらいので人に聞くしかない。滅茶苦茶だがმცხეთამდე маршрутка სად არის? (ムツヘタムデ マルシュルートカ サダリス?)で充分通じる。*1マルシュの切符はマルシュが停まっていた直ぐ傍で売られていた。運賃は1.5ラリ(=60円)。

トビリシ~ムツヘタのマルシュは需要が高いのか,今まで乗った9人乗りマルシュよりもかなり座席数が多く,外観はミニバスのようだった。幸い私が乗った時には既に殆どの座席が埋まっており,比較的すぐに発車した。

ディドゥベを出て20分程でムツヘタに到着。

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 いい雰囲気。

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 世界遺産のスヴェティツホヴェリ大聖堂。名前を覚えられない。

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 グルジア正教で長らく重要な聖堂である。日曜日だったので中で礼拝が行われていた。

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観光客も続々と訪れていた。

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クラ川沿いの遊覧船乗り場から。 山の頂に見えるシルエットがジワリ修道院。対岸にあるが,近くに橋がないので大迂回を強いられる。

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少し歩いてサムタヴロ教会・修道院に来た。こちらも世界遺産。中に入れるが撮影は禁止だった。

ここからタクシーでジワリ修道院に向かう。少し古い情報だと往復で15ラリ(=600円)と書いてあったが,Yandexで配車すると片道で15ラリだった。客引きのおっちゃんが15ラリで話し掛けてきたので,もしかすると配車アプリより直接交渉して行った方が安くつくかも知れない。

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11:34,ジワリ修道院到着。

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何だか凄い所に来た。

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世界遺産・ジワリ修道院正面。

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 中は礼拝する人と観光客とでごった返していた。

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 ムツヘタ市街の眺望。スヴェティツホヴェリ大聖堂やサムタヴロ教会・修道院が見える。

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 北方向への眺望。

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ジワリ修道院側面。

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12:20,タクシーでムツヘタ市街地に戻ってきた。再びスヴェティツホヴェリ大聖堂へ。

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中に入って聖歌を聞いていると礼拝が終わって奥まで入れた。中はとにかくフレスコ画が凄い。

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巨大なイエスフレスコ画

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お香の煙で聖堂に射し込む光がくっきり見える。

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礼拝ではこの花が添えられた柱に向かって信者が拝跪しその手前の部分に口づけや額づけをしていた。これが「命を与える柱」だろうか。

グルジアを旅行していると人々の敬虔さに驚く。タクシーの運転手は教会や聖堂の前を通り過ぎるだけで十字架を切るし,大抵のマルシュはルームミラーなどに十字架やイエス肖像画をつけている。彼らにとって神の存在は当たり前であり,日常生活にも神の存在が深く根差しているように見えた。

13:20,トビリシへ帰るマルシュに乗車。行きと違って帰りは運賃後払い方式だった。乗り場はサムタヴロ教会・修道院の手前にあるバス停。帰りのマルシュは超満員で立ち乗車だった。ハイエースのような車の中での立ち乗車だったので非常に疲れた。

ディドゥベ到着後,地下鉄でアヴラバリ駅へ。初日に続いて旧市街を観光することにした。

14:12,アヴラバリ駅到着。気になっていた平和の橋へ。

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どういう構造をしているのか外観からは全くわからなかったが,中を覗くと吊橋のような感じに見えた。

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このように上から吊られている。

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変態的構造。

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メテヒ教会前のメテヒ橋。1951年に架けられたアーチ橋。

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いつ見ても綺麗なメテヒ教会。

温泉街を横目に掠め,植物園へ向かった。入園料4ラリ(=160円)。めちゃくちゃ広い植物園なので全てを見て回ることはできない。

植物園はナリカラの丘からも入れるようで,丘へ上がれる階段があった。

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その階段からナリカラ砦。

植物園からちょっと逸脱するが,ナリカラの丘沿いに西へ移動。

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グルジアの母の像。

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手前の鉄塔は何だろうか。碍子が付いているが電線は張られていない。右奥にテレビ塔が見えている。

植物園に戻った。

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なぜ俺はトビリシで登山をしているのか…

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広すぎる植物園。

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これもナリカラ砦の一部だろうか。植物園はナリカラ砦のすぐ裏(南側)にあるので,ナリカラ砦を直ぐ傍で観察できる。

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園内で新郎新婦の写真撮影に遭遇。

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ナリカラ砦が一番よく見える場所だった。北側からだと上の部分しか見えないので,南側ならではの眺望だろう。

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違う地点から。結構奥行きがある。

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温泉街まで下り,奥の滝へ行ってみた。滝よりもその道中の景観の方が面白い。

 

温泉街近くで晩飯を摂ることにした。ヒンカリが美味いというMaspindzeloへ。

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ハルチョー,ヒンカリ(パクチー入り)5個,ヒンカリ(パクチーなし)5個,チャチャ。ハルチョーが物凄く美味しかった。ヒンカリは一つ一つが大きくて汁も大量で,5個でもう腹一杯になった。パクチー入りの方が美味かった。ビールも追加で注文した。

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夜のメテヒ教会。

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夜のナリカラ砦。

そろそろ空港へ向かう。時間に余裕があったので37系統のバスを使うことにした。

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Station Square(トビリシ中央駅)と空港とを結ぶ37系統はアヴラバリからも乗車できる(地図中赤矢印が停留所)。公式サイト(Tbilisi Transport Company)でルートや時刻表が確認できる。ちなみにスマホからだとレイアウトが崩れて閲覧できない。

アヴラバリから空港までは40分くらいだった。渋滞があればより時間がかかる可能性もある。車内は満員で中々坐れなかった。空港利用客・関係者以外の利用も多い。一部座席にはUSB充電ポートが備わっていた。

21:00頃空港着。

Buta航空では受託手荷物だけでなく機内持込手荷物にも運賃が発生する。またオンラインチェックインをせずカウンターでチェックインをするとチェックイン料が発生する。オンラインチェックインをすると,普通の航空会社では受託手荷物がない場合カウンターに行く必要はないのだが,Buta航空では機内持込手荷物の計量が必要なため結局カウンターに行かねばならない。

まずカウンターで機内持込手荷物の重さや寸法が基準値以内であることを確認し,証明書を貰う。次にカウンター右手にあるButa航空のオフィスの窓口に行き,証明書を渡して運賃を支払うと,何かの紙が渡される。最後にそれを持って再びカウンターに行くと,機内持込手荷物にシールが貼られて手続き完了となる。ちなみに運賃支払いはクレジットカード使用可能だった(手数料が別途かかる)。

23:25,搭乗開始。バクーへ出発。

 

カフカス旅行記8へ続く。

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*1:ちなみに「~まで」はグルジア語で -(ა)მდე(-(a)mde)で,日本語とちょっと似ていて覚えやすい。

カフカス旅行記 6 【アルメニア】エレバン・エチミアジン

カフカス旅行記5の続きです。

最初からはこちら(カフカス旅行記 1 【グルジア】トビリシ~ボルジョミ - ながさっちゃんぽん

 

2020/2/22 エチミアジンエレバン

 

7:00起床。Yandexでタクシーを配車しエレバン駅へ。アルメニアはタクシーが非常に安いので気軽に使える。

この日は一日でアルメニアをざっと観光する。午前中はエチミアジンに行くことにした。

エレバン駅でまず今晩乗車するトビリシ行き国際列車の切符を購入する予定だったが,国際列車窓口はまだ空いていなかった。タクシーの客引きのおじさんによると9:00に開くらしい。

取敢えず近郊列車窓口でエチミアジン行きの切符を購入した。エチミアジンにはギュムリへ向かうアルメニア国鉄が一応通っているが,エチミアジン駅はエチミアジンの市街地から途轍もなく遠い(約14kmも離れている)ので,普通はタクシーかバスで向かう。客引きのおじさんにも鉄道はマジでやばいよと警告された。しかし乗り鉄がしたいので敢えて鉄道で行くことにした。

アルメニア国鉄の時刻表は公式サイト(http://www.ukzhd.am/raspisanie/en/raspisanie1.html)上に公開されている。グルジア国鉄と違い詳細に時刻が載っている。

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今晩乗る予定のトビリシ行き国際列車が停まっていた。

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エレバン7:55発ギュムリ行き列車(#684)。残念ながら目当ての流線形車輛ではなかったが,これはこれで味がある。

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車内。簡素ながら落ち着いた雰囲気。

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8:30,霧のエチミアジン駅に到着。霧の中を発車していくエレクトリーチカが恰好良かった。

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重厚な石造りの駅舎。アーチが美しい。

さて駅舎を出てみると本当に何もない。人の気配も全くない。野犬がうろついているだけだった。幸いYandexでタクシーを呼べたので大丈夫だったが(Yandexでも配車に時間がかかった),配車アプリがないと詰んでいただろう。

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アルメニアではソ聯車をよく見かける。

タクシーでエチミアジン中心部へ移動。アルメニア最古の教会であるエチミアジン大聖堂へ。

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どうやって作ったのか皆目見当がつかない石造の門。

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十字架の周りの石は一体どうやって支えられているのだろうか。石の中に鉄筋みたいなものが入っていたりするんだろうか。刻まれたアルメニア文字がかっこいい。

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石を使った曲線美が凄い。

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大聖堂は残念ながら改修中だった。

宝物館が11:00に開くようなので,1時間半程ぶらつくことにした。軽く朝食を摂り,直ぐ近くのガヤネ教会へ。

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ガヤネ教会。

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大聖堂とこの辺り一帯の教会は世界遺産に登録されている。

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荘厳な扉と壁画。

11:00頃,大聖堂の宝物館で見学の受付を済ませた。11:15から宝物館見学ツアースタート。ロシア人の団体と一緒だったので,説明は全部ロシア語だった。

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ロンギヌスの槍。イエスを貫いたといわれる。

ツアー終了後,タクシーでエレバン駅に戻った。朝に買えなかったトビリシ行き国際列車の切符を購入。クレジットカードは不可だった。二等車で13135ドラム(=2928円)と結構高い。

昼飯を喰いに街中へ移動。地下鉄に乗りRepublic Squareで下車。

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 昼飯のチョウザメ。味付けが完璧でとてもおいしかった。

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人で賑わう市場。アルメニア文字のTシャツを購入。

タクシーでアルメニア人虐殺博物館へ。

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道中見えたKievyan橋。重厚なアーチ橋だが,よく見るとコンクリートが剥げて中の鉄筋が丸見えになっている気がする。

肝腎のアルメニア人虐殺博物館は閉館していた。博物館系へ行く際は開館時間を要確認…。

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ツィツェルナカベルトの丘の上にある犠牲者追悼モニュメント。1915年から数年に亙りオスマン帝国は150万人以上のアルメニア人を虐殺したと曰われる。トルコとアルメニアの国交正常化は2009年に漸く果たされたが,タクシー運転手の話などを聞いていると今なおアルメニア人の反トルコ感情は燻っているようだった。

タクシーで展望台へ。

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展望台からの景色も良いが,この展望台自体が趣深くて良い。

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自由広場の方へ一直線に望めるが,その手前に何かの建物の残骸がある。少なくとも3年程この状態で放置されているらしい。

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恐らく昔はその建物へこの階段が繋がっていたのだろう。応急策的にぶち切って壁を作ったように見える。

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重機の姿もなく,手前の鉄筋は完全に折れており,コンクリートの状態を見ても何かを造っているようには見えない。完全なる廃墟である。

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ここから自由広場方向へは巨大な階段がずっと続いている。一定階層ごとにこのようなモニュメントや噴水がある。中に入るとエスカレーターで移動できる。

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下から階段を見上げる。夜に来れば美しい夜景が望めるだろう。

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エレバンを走るトロリーバス

 

アルメニアはセヴァン湖のザリガニが有名である。自由広場から少し歩いてザリガニ食べ放題の店に入ったが,季節外れなのかザリガニは提供していなかった。

晩飯を食べながら明日のトビリシ→バクーの飛行機のオンラインチェックインをしようとしたところ,決済が上手くいかず予約できていなかったことが判明。移動日が日曜日かつ前日ともなると一日二便しかない飛行機はとうに満席で,E-visaを持っていないので列車での入国も不可能であり,アゼルバイジャン行き万事休すかと思われた。一先ず今晩のトビリシ行き列車の払戻のためエレバン駅に急行。

20:30にエレバン駅に着いたが,既に国際列車の窓口は閉まっていた。発車までの一時間の間,航空券に万一キャンセルが出た場合に備えてskyscannerやButa航空公式サイト,アゼルバイジャン航空公式サイトと睨めっこして粘ることにしたが,21:00頃遂に空きが一席出て何とか奇蹟的に予約できた。

クレジットカード決済後の画面の英語はちゃんと読もう…。それっぽい予約番号と画面が出たから決済できただろうと揣摩憶測すると後で大変なことになる。

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トビリシ行き国際列車。朝見た時とは違う機関車に付け替えられていた。乗車口に立っている係員に切符とパスポートを見せ乗車。

21:30,エレバン駅を定刻で発車。

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二等寝台は四人一室のコンパートメントになっている。私の部屋は私,ロシア人の女性,インド人のおっちゃんの三名だった。ロシア人が英語を話せたため,車掌のロシア語を通訳してくれ,言葉の面での不自由が何一つなかった。インド人のおっちゃんが饒舌で賑やかな夜になった。

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ベッドに横になった様子。消灯前にシーツと毛布が配られた。枕は不潔だったが,全体として寝るのに最低限必要なものは揃っていた。だがコンセントは部屋の中に一つもなく,廊下側の黄昏席にしかない。

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廊下側の様子。

この日は列車で熟睡した。

 

カフカス旅行記7へ続く。

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カフカス旅行記 5 【グルジア・アルメニア】トビリシ~エレバン

カフカス旅行記4の続きです。

最初からはこちら(カフカス旅行記 1 【グルジア】トビリシ~ボルジョミ - ながさっちゃんぽん

 

2020/2/21 トビリシエレバン

 

6:37,トビリシ中央駅に到着。昨晩飲み過ぎたため下痢と二日酔いが酷く,暫く駅のスタローバヤで休憩。

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ポテトパイとチーズパンで2ラリ(=40円)。スタローバヤにはコンセントもあり,トレインビューも楽しめるので休憩には打ってつけだった。トイレは一回0.5ラリで有料。

8:30頃,スタローバヤを出た。この日は夕方までトビリシ観光。まずはムタツミンダ山へ行くことにした。地下鉄に乗ってLiberty Squareで下車し,ケーブルカーの駅へ。

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結構な急坂。学校に行く子供達が大勢いた。

駅で切符となるICカードを購入。往復20ラリくらいと結構高かった。

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 2012年に登場したばかりの新しい車輛。展望を楽しめるよう天井にもガラスがはめられている。

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middle駅での入れ違い。ケーブルカーはlower駅,middle駅,upper駅の3駅ある。middle駅はFather David Churchやムツミンダ・パンテオンへの最寄駅となっている。

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天井もガラスなので後面展望がよく見える。しかしこの日は生憎の靄であまりよく見えなかった。

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upper駅到着。架線レスでupper駅で充電して動いているようだ。

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upper駅を出て直ぐ目に入るテレビ塔。高さ274.5mと相当高い。塔自体が標高719.2mの高さにあるので,塔の尖端は標高約1000mにある。

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塔に登れる見学会とかはやってないんだろうか。是非登ってみたい。

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テレビ塔の西側から,トビリシの北方向の眺望。

タツミンダ山を降り,国立博物館へ。

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博物館内にあった地図。よく見るとトビリシが今の綴りთბილისი(tbilisi)と違い,ტფილისი(t'pilisi)となっている。Wiktionary(en)によると,元はტფილისიと書き,その由来は「あたたかい」を意味するტფილიだったらしい。それがთბილიに変化したことに伴って20世紀初頭に綴りが変えられたようだ。t'がpからの逆行同化で帯気し,続いてpがiからの逆行同化で有声化したのだろうか。

博物館には様々な展示があったが,四階の現代史が特に面白かった。しかし南オセチア紛争など近年のロシアとの急速な関係悪化についてはあまり触れられていなかった。

ルスタヴェリ通りを歩いて温泉へ向かう。

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ルスタヴェリ通りは観光地化され綺麗に整備されていた。

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シオニ大聖堂。

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中も見学できる。

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温泉に到着。一番安い5番の温泉に入る。

雰囲気は温泉というより銭湯に近かった。狭いロッカーに衣服を抛り込んで鍵を掛けて入湯するスタイルだった。更衣部屋は普通に床(靴を脱ぐとかはない)なのでサンダルが必須。皆サンダルを履いたままシャワーを浴びていた。泉質は硫黄泉で,結構な硫黄の臭いがするが,正直日本の温泉と比べると生温い。他の1~4番や個室温泉はどうかわからないが,温泉に関しては日本が一番だろう。サウナもあった。

温泉をあがり,トビリシ中央駅に戻った。エレバン行きのマルシュはトビリシ中央駅から出ている。

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エレバン行きマルシュの受付所はキャンピングカーの残骸だった。パスポートと運賃35ラリ(=1330円)を係員に渡すと受付完了。パスポートは返却される。出発時刻は10:00,10:50,11:40,13:20,15:00,17:00などと情報を得ていたが,恐らく定員一杯になると発車してしまうので,早めに行く方が良いと思われる。

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マルシュは定刻通り15:00に発車し,9人乗りに6人で非常に快適だった。

国境のサダフロまでは約1時間30分で到着。アルメニア入国審査ではCOVID-19対策の為か通過する全ての人に対し体温測定を実施していた。

やや緊張したが特に何事もなくアルメニアに入国し,ここから更に4時間程度の道程。アルメニアに入るとソ聯車をよく見かけるようになった。

車の調子が悪く,ずっと2速で唸って異臭が車内に立ち籠めたり,エンジンが掛からなかったりとかなり不安な道中だった。途中で運転手がエンジンルームから潤滑油の入った2Lボトルを8本ほど取り出して(なんでそんなところに入れているんだ…),私の坐る後部座席の足下に置いた。発火を恐れたのだろうか。エレバンまでの道中でアルメニアカップルの2人が降りて行った。

21:00頃,エレバン到着。21:30頃宿に到着するも,ダブルブッキングにより泊まれないと言われた。宿の人の伝で別の宿に泊まれることになり,タクシーを寄越してくれた。22:20頃無事投宿。泊まる予定ではなかった宿だがスタッフがとても親切にしてくれた。

車での長旅でヘロヘロだったが,腹が減っていたので近くのレストランへ。終始店内ステージでライブをやっていて,あまり落ち着けなかった。

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ボルシチ。しっかりとした株の味。ラヴァシュがおいしかった。

0:00頃に店を出て宿に戻り就寝。

 

カフカス旅行記6へ続く。

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カフカス旅行記 4 【グルジア】バトゥミ~トビリシ

前回の↓カフカス旅行記3の続きです。

最初からはこちら(カフカス旅行記 1 【グルジア】トビリシ~ボルジョミ - ながさっちゃんぽん

 

2020/2/20 続き バトゥミ~トビリシ

 

16:30頃,バトゥミ到着。

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首都トビリシとは全く異質の街並みが広がっていた。建造物から「西側」の雰囲気がする。

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Chachaタワー。バトゥミは黒海に面したリゾート地で海のイメージだったが,背後の山も綺麗だった。

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「西側」っぽさ満点の独創的な高層建築が櫛比している。この日の午前には東側っぽさ満点のチアトゥラにいたのだが。

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アジャリア自治共和国の旗。

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密閉箱型ではない(柵しかない)タイプの観覧車。

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乗ってみた。少し怖いが,景観は抜群に良い。

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グルジアではなぜかこういった道路脇などに脈略無くパンチングマシンが置かれている。グルジア人は力強いイメージがある(レスリングやラグビーが盛ん。片耳で8tトラックを引っ張るという謎のギネス記録保持者もグルジア人)ので,彼らがどんな記録を出すのか気になる。

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バトゥミ灯台

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海岸沿いは遊歩道が整備されており,黒海からの風を浴びながら気持ち良く歩ける。

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砂浜ではなく石浜で非常に歩きづらい。夏に海水浴するときはしっかりめのビーチサンダルが必須だろう。

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独創的な高層建築が目立つ。

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景観だけ見るとヨーロッパかどこかの国と勘違いしそうだ。

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煙のようなものは全て鳥である。恐ろしい量だが,どこへ渡っていくのだろうか。10分ほど経ってもまだまだ続いていた。

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ヌリゲリ池。

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街中へ入ると一気にグルジアっぽさが戻った。

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食前酒にツィナンダリ(白)。これ本当に美味い。

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本場のアジャリアハチャプリ。めっちゃうまい。

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ZEDAZENIとかいうビールはおいしくなかった。

バトゥミからは夜行列車でトビリシに戻るが,寝台列車("Night Passenger Trains")はオズルゲティ発(#653)とズグディディ発(#601)のみで,バトゥミ発はない。バトゥミ発の夜行列車(#811)だと普通の座席で寝る羽目になる。なのでタクシーでウレキ駅まで戻り,ウレキから#653に乗ることにした。

Yandexでタクシーを配車し,ウレキ駅へ。運転手が若いお兄さんで英語も話せたので宴会の如く会話が弾み,本当に楽しい時間を過ごせた。

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22:10,ウレキ駅到着。列車到着まで時間があったので更にビールを購入。運転手おおすすめのビールで,これは美味しかった。

23:13,#653がウレキを定発。トビリシ中央まで一等寝台で運賃35ラリ(=1340円)。

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一等寝台は2名一室のコンパートメントになっている。高級感のある内装で,掃除も行き届いていた。ビニール袋に入ったシーツのようなもの(布というより肌触りの良い包装材のような感じ)が配られた。

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シーツを展開するとこんな感じ。寝心地はとてもよかった。車内の装備品全てに細膩な心遣いが感じられる。

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通路側にはいわゆる黄昏席もあり,コンセントもある。

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車掌に言われて気付いたが,客室内には電灯の横側にコンセントがついていた。高所にあり抜けやすいので黄昏席のコンセントの方が使いやすい。

鏡に映っているがテレビも備わっている。まさに至れり尽くせり。

この日は車内で爆睡した。

 

カフカス旅行記5へ続く。

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